9.11ですが

2004年9月11日 日常
9.11です。
おかげで私達の修学旅行が中止になったという忌々しい事件です。
色々特番やってましたね〜。
まず夜7時から、「あの事件はアメリカが仕組んだことだった!?」的な内容の番組を見る。
マジでそうかもしれんと思ってしまった。
ブッシュのパパ(多分)の会社のお得意さんにビンラディンの一族がいたなんてびっくりした。

そんでもって軽く風呂に入ってから、貿易センタービルで亡くなった日本人のドラマを途中から見る。
涙ちょちょぎれますがな。
年を追うごとに涙もろくなっています。小学校の卒業式で女子で唯一泣かなかったのが誇りだったのに。
たまに新聞読んで半泣きになってるし(笑)
はっきり言ってどこの誰とも知らない人が死んでも悲しくともなんとも無いわけですよ。
でも何故涙が出るかと言うと「思い」を感じてしまうからかもしれません。
「思い」というか「無念さ」といったほうが適切かな。本人と家族のね。
「まだやるべきことがあったのに、まだやりたいことがあったのに」という。
このドラマで死んだのが寿命ぐらいの年寄りだったら、きっと涙なんて出なかった。
周りも死ぬこと自体は覚悟してるし、やり残したことがあってもそれは本人の責任だから。

ドラマ終盤、亡くなった人の家族が日本に帰る前にきれいに片付けられたセンタービル跡地を見るシーン。
意外にも「同じドアをくぐれたら」を思い出しましたよ。(バンプです。ユグドラです。)
「手に入れるために捨てるんだ」「そんなに簡単な選択に〔勇敢な選択だ〕 いつまでも迷うことはない」あたり特に。ここだけ抜き出すと語弊がある気がしますが。
生きてく強さ(GLAYではなく)を手に入れるためには死んだ人への執着を多少なりとも捨てなきゃならない。
少なくとも生きてる頃と同じ愛し方ではやっていけない。
選択肢は「死を受け入れる」ことしかない。簡単な選択。そして勇敢な選択。
充分悲しんだうえで決めたのだから、もう迷うことはないじゃないか。
印象薄かったけど意外なとこで日の目を見ましたな、この曲。ということで改めて歌詞を読み直してみるとやっぱりぴったりソング。
そういう意図で作詞はしてないと思いますが。

人間ってのはヒト一人いなくなっただけでえらく動揺する弱い生き物であり、
最愛の人がいなくなっても生きていけてしまう残酷なぐらい強い生き物なんですね。

あ〜もう戦争とかテロとか人殺しとかやめてまえよなー

コメント

悠

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