日本人の「普通」をはかる番組をやってました。
で、宮崎アニメです。
あたしは「千と千尋〜」一部しか見たことないです。
トトロもナウシカもテレビでやってるから宿題でもしながら見てた程度。
そして今は「ハウル」よりも「イズ・エー」が見たい人間です。キムタクよりも津田寛治。
関係ないけど「世界の中心で愛をさけぶ」のDVDを借りようとしているのは、一瞬出てくるであろう津田寛治と大森南朋を見たいから。

そんな私は宮崎アニメをあまり好まん。
しかし「もののけ姫」は別なのです。
当時中1か中2のアタシは近くの市民ホールで二度目の鑑賞をした上にビデオまで買いましたよ。
(そういえばCOCCOにはまったのもその頃。なんて暗い中学生や。)
今日の番組では日本人に不人気「もののけ姫」。
テーマが小難しいし、エグい場面もちょっとあるので仕方ないのかもしれませんが。
間違っても子供づれで見るものではないわな。

宮崎アニメの主人公はたいてい、正義感が強く、勇敢で明るく前向きな男の子、絶対諦めたりしない。
で女の子はちょっとおてんばだけど優しい。他人のために自分を犠牲にしたりする。
正直もうええて、その設定。
うんざりです。
PRGの設定だけで十分です。RPGは動かないと話が進まないので仕方ないですが。

「もののけ」はその点明らかに異質です。
登場人物の全員がいろんなものを諦めている。ちゃんと「恐れ」をもっている。
一見勇敢に見えるアシタカも時代の掟には逆らおうとしないし、
サンも自分を育てた親と森を守る為には攻撃を躊躇しない。
エボシも生きていくために森を傷つけながらも鉄を作る。
悪とか善とかは存在しなくて、それぞれ行き過ぎた部分は多少あっても、ただ利害が一致しないだけ。
「悪者にもいいところはある」とか「悪者の行動にも理由があった」とかいうのん気なレベルじゃない。

誰も悪くないのに重大な不都合が起こる時、かつ誰もが譲るわけには行かない時。
どうすればいいんだろう。

ゲームの弊害が叫ばれてますが、「死んでも生き返る」とかいうわかりやすくありえないことは勘違いするのは難しい。
それよりも、周囲の人間を「敵」と「味方」の二分しか出来なくなってしまうんじゃないかという危険のほうが私は恐ろしいです。自分含め。
バイトを始めて2ヶ月弱。
どうしてもっと早くこういうことしておかなかったんだろうと思った。
別に仕事自体は楽しくない。本気で出来ない奴だし。
やめようかと考える要素も出てきた(なかなか重大)。

今まで私がよく知っていたのは、同じ世界の人間。
同じ歳の、同じ性の。
そして、似たような性質の。
好意ってのは表さなくちゃ届かない、意味がないってこと、わかってたつもりだった。
だけど、完璧にわかってくれる人が現れるんじゃないかってどこかで思ってたんだと思う。
頭では誰より否定しながら。知ってた、から。
近くにはなんとなくわかってくれる人がいたのだから、「もっと」って思ったのかも。
「違う」ことは好んでたつもりだったけど、全く「同じ」ことは嫌ってたつもりだったけど、それは所詮同じではありえないことを自覚しているが故の恐怖の裏返しだったのかもしれない。
バイト先では、そんな幻想にしがみつく自分の姿が浮き彫りになった気がした。
自分のコミュニケーション苦手度も、ひどく重症に感じるようになった。
違って、みんな違って。
百も承知のはずだった。今更何を言っているんだろう。
今までのことを考えた。
近づこうと思うと一歩後ろに退いてしまう私の癖はとんでもない損失だ。
挨拶を言うとき仏頂面だ。
話すときあんまり人の顔見ていない。
全部ある程度自覚はして、改善したいとは思ってたけど、今までなんとなく来てしまったこと。
だけど、考えてみると自分みたいな人には自分は近寄らない。
ひどく自分が恨めしかった。
どうしてもっと早く。わかってたはずなのに。
身動きが、とれないじゃないか。

アトピーがひどかった時期があった。
それはほとんどの女の子がかわいく居たい高校時代(ってかつい最近まで)。
一年中ひどかったわけでもなかったけれど、きれいな肌とは言いがたかった。
本当にひどいときは友達とも目を合わせなかった。
表情を動かすと、傷が痛いので動かさなくなった。
だけど学校には行った。
変な意地。今思うと謎だ。
もうみんな高校生だから態度を変えたりしない。
だけど私から近寄る気になんてなれなかった。
幸い人間関係が出来上がる4月は症状が落ち着いていたのでなんとか友達はできていた。
だけど、その強固なグループから外に出ることをほとんどしなくなった。
それは仕方ないのかもしれない。あの状態で学校に行っただけでも私は強かったのかもしれない。
そして友人は優しかったんだと思う。
薄いリストカット跡らしきもの(話に出たことはない)がいくつもある友人と私は確実に同じ空気を共有していた。
彼女のほうが生徒会とかいろいろやって活発だったけど。
私はメンタル系のお薬も飲んでないし、リストカットなんて考えたこともないけど、私のほうが病んでいると思ったことは何度もあった。
傷を抱えた人は優しい。
痛がる他人の傷を無理やり消毒はしてくれないけれど、ほじくり返したりは絶対にしない。
私はそこに甘えていたんだと思う。

もういいはずだ。
まだアトピーの気は残るけど、顔からは消えた。
最近たまに「きれい」っていわれるし、ちゃっかり真に受けて人の目見つめてみよう。
いつものことながら一日何もせずいた。
部屋を片付けねばと思う。
しかし私は筋金入りの「片付けられない女」だ。
うちに来たがる友人に部屋が散らかっているから無理だと言うと「片付けといてよ」と簡単に言った。信じられなかった。
携帯でとった部屋の写真を見せると、
「ごめん、自分の常識で言ってた。」と謝られた。
その子は一般以上によく片付ける子ではあったのだけど、自称散らかってる人の目からしても私の部屋の散らかりようは尋常じゃないらしい。
ごみ屋敷ではない。
かつて食べ物だったものがあちこちで腐ったりしてはいない。
しかし、それは食に関する作業をこの部屋でしないからであって、一人暮らしを始めたらどうなるかわからない。
そして片付けの試みは衝動的に始まる。
一週間ほどぶっ続けで片付けたことがあったが(物を右から左に動かしただけとも言う)、途中でやめてしまい、三日で散らかった。

1年半ほど前だろうか、「片付けられない女たち」と言う本を読んで、注意欠陥障害と言うものを知った。(詳しく知りたかったら自分で調べてください)
存在自体疑問視されていたりして完全に信用したわけではないのだが、あまりに自分に当てはまっていて涙が出た。
「頭の中まで散らかっている」という記述。
本当に、本当にそうなのだ。
自分が注意欠陥障害かどうかはわからないけれど、私の頭の中が散らかっているのは確かだ。
ずっと勉強もニュアンスで切り抜けた。
情報の、整理が出来ない。
文章の組み立てがうまく出来ない。
自分の感情もよくわからない。求めては、近づくと怯える。
道具類は、目的を遂げた瞬間に私の意識から消えうせる。

片付けようと心に決めた次の瞬間には、散らかった部屋の真ん中で立ち尽くすしかないのだ。
やりかたが、わからない。訓練不足のレベルを超えていると思う。

これ以上語りだすと長くなるのでこの辺で。
夕方、僕と彼女がなんとかいう番組のハイライトみたいなものをやってたので他のチャンネル2番組と平行して見てました。
予想外にヘビーなお話なのね。
子供を愛せないと。
なんだか身につまされました。
私は結婚もしてないし、子供もいないし、親も離婚したりしてないんですがね。
自分もああいう風になるんじゃないかという恐れと言うか、すでに確信に近いものがあるのです。
私は子供は欲しくない。
いつか結婚はしたいけど子供は要らない。
すべて19歳時点の考えであって、変わる可能性はいくらでもある。
だけどこの歳で出産した人はいくらでもいるのだ。
すでに中学の同級生の話は一人聞いた。
彼女たちはもしかしたら何も考えていなかったのかもしれないけれど、なんとなくでも受け入れていたはずだ。
私は今は確実に受け入れられない。
私には今のところ愛する人などいない。
いたこともない。そういう感覚がわからない。
だから、愛する人の子供が自分の臓器の中に存在するというのがどんな感覚か私には全く想像が付かない。
貧困な想像力をはたらかせて出てくる答えは「異物」。
自分でないもののために体力と時間とお金を費やさなくてはならない。
しかも、恋人みたいには別れられない。逃げ出せない。
嫌だ。そんなの嫌なのだ。
子供を生み育てるのが女の幸せだと考える人たち(意外とまだ多いらしい)には、子供っぽい自己中心性から来るものだと言われるかもしれない。
でも、そんなの十分わかっている。むしろわかっているからなのだ。
あたしは自己中なガキで、改善される見込みも少ないから自分よりも手間のかかるガキは要りませんって言ってるんです。
いくら少子化っていっても、子供が一人増えると同時にネグレクトが一件増えるなら産まないほうがいい。

そんなこと言って、卒業1年後ぐらいに子供産むとかいう面白いことしてたらどうしよう(笑)
悠

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